「声の在りか」 読了。 行き場を失った言葉たち。摩擦を避けるため全てを呑み込み、自分の声は死んでいく。
目次は多いですが、3分程度で読めます。
「声の在りか」はこんな話
あらすじ
「こんなところにいたくない」パート帰りの希和が見つけたのは、小学四年生の息子・ 晴基 とそっくりの筆跡で書かれた切実なメッセージだった。本人に真意を問いただすことも夫に相談することもできない希和は、晴基が勝手に出入りする民間学童『アフタースクール鐘』で働きはじめる。マイペースな経営者・要や子どもたちに振り回されながらも、希和はいつの間にか自分の考えを持たない人間になってしまっていたことに気付く。周囲から求められるものでも、誰かからの受け売りでもない、自分自身の言葉を取り戻すためにひとりの女性が奮闘する、大人の成長小説!
とあるのですが、読んでみると受けた印象はすこし異なった。というのも、
- 主人公の希和はどちらかと言えばクール。奮闘するというよりは、人知れず悩み答えを模索している感じ
- 自分を守っていた殻を破るという意味では確かに「成長小説」だと思う。ただし、新しい知見を得て次のステップへと進んでいくという意味合いはない
落ち込むこともあるけど頑張るママ!という物語ではなく、母親として、1人の人間として、一つ一つをじっくりと考えて向き合おうとしている。それでも結局、思っていることの10分の1も口にできず……という煩悶が描かれる。
残念に感じた点を先に
Twitterとかエッセイ風漫画(実話系漫画?)でみられるような「あるある要素」がそこかしこに挿入されていて、それを違和感なくストーリーに収める手腕は見事だと感じた。
一方で、どの要素も一律(それぞれの解像度が同じ)でシステマティックな印象を受けたのと、たまーに浮いている感じがした。
とはいえ
令和社会と同時進行。時流を上手く捉えた小説でした。
内容と感想
以下、本の内容と感想とごちゃ混ぜになってます。
現代社会あるあるが詰まった小説
ワンオペ、モラハラ、ママ友、男尊女卑、女らしさ・男らしさの押し付け、ライングループ外し、等々。令和要素がこれでもかというくらい入っている。ちょっと出来過ぎたエッセイみたいに。全ての要素がこてこてだったら胃もたれすると思うが、さじ加減が絶妙なので手を止めずに読める。
SNSの影は、どこにだって付きまとう
インスタに手作りのイチゴシロップを投稿する希和。のめり込んでいる様子はないものの、美しさを水増しした「非日常」や、切り取った「特別な一瞬」を「日々の暮らし」として発信するのはSNS界のお約束。
「実家の庭で採れた梅」としてアップした梅酒は、実はスーパーで買った梅で作られている。リアリティを感じます。
子供の代理者としての自分
避けて通れない2大イベント、ママ友付き合いとPTA。面倒だろうが関わりたくないタイプだろうが、穏便に、波風たてずにやり過ごす。被害を受けるのは自分ではなく、息子になるかもしれないのだから。こんなライングループ、抜けたい。でも、息子に何かあったとき情報が入ってこないのは困る。自分はあくまで、代理人。
愛情 < 責任
自分の行動が子供にどう影響を与えるか。最適な距離感はどのくらいか。どこまで手を貸すべきか。どこまでが信頼で、どこからが放任なのか。子供の将来を真剣に考えるからこそ、責任の比重がどんどん重くなっていく。
イライラ→八つ当たり→自己嫌悪の無限ループ
自分の中で「最低限こうしなきゃ」はたくさんあって、なのにその最低限もできない。余裕がないからイライラする。我慢して我慢して、それでもつい、小さな存在に感情をぶつけてしまう。プレッシャーから解放されると、思い出して自己嫌悪。自分を責めて、明日からは絶対、と誓うのに同じところに逆戻り。
子育てに当事者意識がないパートナー
スマホを見ながら食事する夫。話しかけても生返事。子供の習い事について相談すると、「パートで月100万稼いでくるわけじゃないんだしさ」という返答。3日後に、「あなただって月給100万じゃないよね」という反論を思いつく希和。
常に正しくあろうとする姿勢は尊敬。けれど……
主人公にやたらと分別があるところが、SNSで絶えず流れてくる情報によって考え方を矯正された感があり、本当にどこかにいそうな人間だった。
- 噂話に対し、事実関係を確認するまでは分からない、という態度を徹底して貫く姿
- 被害を受けた方に落ち度があったかのような言い方をされるのが理解できない、と憤る姿
など。
どんな家庭にだって、問題はある
問題のない家庭なんて存在しないと思ってます。その問題に対する向き合い方、取り組み方が重要なのであって、問題があること隠そうとしたり、見て見ぬふりをしたり、手を回すだけの余裕がないからといって放置すると、ゆっくりと地獄へ向かって枝分かれしていく気がします。
印象に残った言葉・フレーズ
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境のなかで育てられる。
民間学童のオーナー、要の言葉。児童憲章より。
その顔をみていると「こわがらせてしまった」という後悔と、ほんのすこしの優越感のようなものと、優越感を抱いてしまう自分への嫌悪が心の中で同じ比率でまじりあって、いかにもきたならしい色合いになった。
わたしはこの子を支配できる。できてしまう。少し怒っただけでこんなにもわたしをおそれるこの子。わたしはこの子をどうにでもできる。
そしてこう続きます。
親の愛情は無償かつ無限のものだとされいるが、ほんとうは違う。子どもから親に向けられる愛のほうがだんぜん勝っていて、それを使って親は子どもを簡単に支配することができてしまう。
希和はこれをきちんと自覚しています。重みのある言葉でした。
著者情報・他作品
著者の寺地はるなさんは、1977年生まれ。「ビオレタ」でポプラ社小説新人賞を受賞しデビューが決定。ほかに「ミナトホテルの裏庭には」「月のぶどう」など。
2023年本屋大賞ノミネート作品「川のほとりに立つ者は」
ありがとうございました。