⑩ J.D. サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」徹底考察!荒地と楽園と倒錯の森。深読み地獄は終わらない
◂前回
はじめに
前回はこんな感じでした。
考察
場面(1) 謎解き
こちらのページにリンクをまとめました。
場面(2) 謎解き
シャロン・リプシュッツはシーモアが「オーシャン・ルーム」でピアノを弾いていたときに、隣に座ってきたそうです。シビルは居なかったし、シャロンを押しのけるわけにもいかないだろ?とシーモアがいいますが、シビルは不満気。
「だけど、おれがどうしたかは、聞かせてやるよ」
「どうしたの?」
「あの子がきみだっていう振りをしたのさ」
シビルはとつぜんしゃがみ込んで、砂を掘りはじめた。
「水にはいろうよ」と、彼女は言った。
(略)
「この次のときは、あの子を押しのけるのよ」と、シビルは言った。
「誰を押しのけるって?」
「シャロン・リプシュッツ」
「ああ、シャロン・リプシュッツか」と、若い男は言った。
「どうしてその名前が出てくるんだろ。記憶と欲望とを混ぜこぜにしてさ」
「バナナフィッシュにはもってこいの日」(著)J.D.サリンジャー (訳)鈴木武樹より引用。
シビルはシャロンに嫉妬しているようです。なんとも可愛いらしい。気になるのはその後。
「どうしてその名前が出てくるんだろ。記憶と欲望とを混ぜこぜにしてさ」
これです。
謎④ 記憶と欲望を混ぜる……?!
先ほどのシーモアのセリフ、原文だとこうなっています。
"How that name comes up.
Mixing memory and desire."
前回、「荒地」という詩について一瞬だけ触れました。作者は20世紀前半の英語圏で最も重要な詩人の1人と評されるT.S.エリオットです。冒頭3行をご覧ください。
April is the cruellest month, breeding
Lilacs out of the dead land, mixing
Memory and desire, stirring
Dull roots with spring rain.4月は最も残酷な月だ
出典:T. S. Eliot “The Waste Land”
不毛の地からライラックが生まれ
記憶と欲望を混ぜこぜにし
春雨が鈍った根をかき乱す
お気づきでしょうか……
\ 完 全 に 一 致 /
「バナナフィッシュにうってつけの日」と「荒地」は、大枠のテーマにおいて重なり合う部分が少なからずあるのです。
- 戦後社会を批判的な視線で描いている
- 神話・宗教・哲学をベースとする精神世界と深く結びつくものが暗喩されている
- 死と再生、輪廻転生といった円環の概念が根幹にある
もう少しだけ詳しく見ていきましょう。
「荒地」とは
T.S.エリオットの「荒地」は第一次大戦後の荒廃したヨーロッパ社会を陰鬱な描写で描いた長編詩です。
・チェスの勝負
・火の説教
・水死
・雷が告げたこと
語り手も語りの筋も一貫しておらず、断片的なものをつなぎ合わせたコラージュのような詩だそう。相当難解な印象を受けます。
また、この詩は多くの古典を引用をしています。
・アーサー王伝説
・聖杯伝説
・ジェームズ・フレイザー「金枝篇」
・ダンテ・アリギエーリ「神曲」など
・聖書
・ウパニシャッド哲学
これらに関しては掘り下げるときりがないのでので、バナナフィッシュと関係してそうな箇所を別途こちらにまとめてみました。イラストを使って分かりやすく解説しています。いるはずです。
サリンジャーは荒地を引用することによって、最終目的を遠まわしに、しかしはっきりと伝えていたようです。それはつまり、
ということです。もうほとんどオチですね。
バナナフィッシュ、満を持して登場
「シビル」と、彼は言った。
「これからなにするか、教えてやるよ。バナナフィッシュが掴まるかどか、調べるんだ」
「なにが?」
「バナナフィッシュ」
彼はそう言って、ローブのベルトをほどいた。それからローブを脱いだ。
ついに……!
バナナフィッシュという単語がついにシーモアの口から聞けました!長かった……。
あれだけ拒絶していたバスローブをシーモアは脱ぎました。丁寧に畳んでタオルの上に置くと、浮き輪を抱えてシビルの手を取ります。
「もういままでに、バナナフィッシュはたくさん見てるんだろうな」と、若い男は言った。シビルはかぶりを振った。
「そうじゃないの?きみのうちはどこにあるんだい、いったい?」
「わかんない」と、シビルは言った。
「わかってるはずだよ。わかってるにきまってるじゃないか。シャロン・リプシュッツはわかってるぞ、自分のうちはどこにあるか、まだ三つ半だっていうのにさ」
シビルは立ち止まって、手を彼からもぎはなした。そして、ありふれた貝殻を拾い上げると、それをまじまじと見た。だが、すぐに捨てた。
「ワーリーウッドよ、コネチカットの」彼女はそう言ってから、お腹を前に突き出して、また歩きはじめた。
シビルの言ったワーリーウッドですが、英語では”Whirly Wood”。直訳するなら、渦巻く木。そして直後、話題は突然「ちびくろサンボ」という絵本に移ります。
「トラはみんなして、あの木のまわり、ぐるぐる周ったのか
しらね?」
と、シーモアに尋ねるシビル。
シビルの子供らしさが本当に可愛い……。初期の私の感想はこれだけでした。
謎⑤ 渦巻く木に在住のシビル
シビルは住所を知っている、と確信があるご様子のシーモア。それに対してワーリーウッド、と彼女は答えます。
アメリカのコネチカット州は東海岸にありますが、ワーリーウッドという場所はありません。
ただしニューヘブンはあります。
出典: google map
マグダラのマリア(キリストの死と復活を見届けた人物)とか死と再生とかやってきたので、ニューヘブンでさえ意味深に感じてしまう。
絵本の中でトラは木の周りをぐるぐるとしながら、互いの尾を噛み合って、そのうちバターになってしまうのですが、小さな子供が読んだ本の印象に残っていた場面がふと思い出された結果だとすると、ワーリーウッドという架空の地名に違和感はありません。
直前に貝殻を見ていたことからも、その渦巻から絵本のトラへと記憶が繋がるのは、自然に思えます。
ただ、これはやはり、その下に意味があるのだと考えてしまうのが深読み地獄の住人のさが。
これまでグラス家には触れてきませんでしたが、サリンジャーの物語にはグラス家(Glass family)という架空の一家が存在し、それはまさに、このシーモア・グラスを中心として展開しているのです。
と同時に、始まりと終わりが結びつくような、
のメタファーとしてのワーリーウッドではないかと考えます。
シビルが架空の住所を言った後に、
「きみにゃ、わからんけど、それで、なにもかも、ものすごくはっきりしてきたよ」
とシーモアが言うことからも、ワーリーウッドはシーモアの目的を明確にするものだと受け取れます。
また、この物語において「木」は非常に重要な意味を持ちます。場面(1)では木を見るとシーモアの気がおかしくなる、というようなニュアンスで登場しました。
木は「木ーワード」で間違いないっぽい
場面(2)では、ワーリーウッドとちびくろさんぼの他にも、木が隠されています。
↑こちらで少し踏み込んで紹介しているのは「聖なる木」や「金の枝」。現代人の感覚とは異なり、自然崇拝の考えを基盤とする神秘的で途方もない存在として位置付けられている感じがします。
あ、でも、樹齢100年を超えるような木がパワースポットになったりとか、21世紀でもありましたね、よくよく考えたら。
そして再びのシャロン・リプシュッツ
彼女の姓、リプシュッツはユダヤ系の名前です。意味は”lime tree”。これはライムではなく、リンデンの木を指します。英語ではバスウッド、日本では西洋シナノキ、西洋菩提樹とも言われます。
ユダヤ教(とキリスト教)の楽園の地シャロンは、愛や癒しを表す木をその姓にいただいていたわけですね。
それで、図に表すとこんな感じかな、と思ってます。
パンのキャラ立ちが半端じゃない
前回シーモアは山羊座だから牧神パンじゃないか、みたいなことをやりましたが、パンはテュホン(テュポーン)に襲われて川に飛び込むまでは、山羊+魚の姿ではなく、人間+山羊という形態だったみたいです。
イラストの癖が強いw
昼寝を邪魔されると叫んで人々をパニックに陥れるそうです。パニックの語源はここからだそう。しかも好色で山や川の精霊に積極的に絡むタイプ。さらにはアルテミスの侍女に恋して追いかけまわし、彼女(シュリンクス)は嫌がるあまり川辺の葦にかわってしまう。それを切り取って笛にするという暴挙にでるパン。
painted by Walter Crane (1845-1915)
こいつはやべぇ。という感想しか浮かびませんでした。
話が逸れたな。パンがあまりにも強烈なキャラだったので……。
もうなにがなんだか分からなくなってきました、正直。
俯瞰的な視点を失いました!
木を見て森を見ずの状態にあります。木だけに。
次回は、「6」という数字の謎とかを追っていきたいです。
終わりに
T.S.エリオットは1948年にノーベル文学賞を受賞しているお方だそうです。こんな有名人を知りませんでした。もしかしたら耳にしたことはあったのかもしれませんが、私の脳内アーカイブには存在せず(笑)
倒錯の森の関しては、サリンジャーが「バナナフィッシュにうってつけの日」を発表する前年に出した”The Inverted Forest”からです。本当は今回やるべき内容でしたが、もうこうなっては次回です。
毎回タイトル詐欺みたいになってます。計画通りに進んだためしがありません。
ありがとうございました。