そういえば小さい頃、聖書について勉強してたな――「エホバの証人」だったと思い出した
はじめに
一個人の昔話です。ご近所の家に招かれて「エホバの証人」の教えを学んでいましたが、信者ではありませんでした。
この記事について
・キリスト教系宗教団体「エホバの証人」を批判することを目的としていません
・反対に、肯定するもしくは入信を推奨するものでもありません
・「エホバの証人」を通して、社会・宗教・政治的なメッセージを発信する内容でもありません
・宗教2世問題に代表される、元信者の方々の苦しみを軽んじたりする意図は一切ございません
エホバの証人を話題としていますが、上記の目的や意図はなく、平穏な思い出話としてご理解くださるようお願いします。
楽しいお勉強会
物語は人を惹きつける
週に一度、楽しいお勉強会の時間があった。ご近所の斉藤さん(仮名)宅に母親ときょうだい3人でお邪魔して、お話を聞きながら本について学ぶ。斉藤さんはとても優しかったし、たまに居る2人の娘さんもそうだった。
机にはお菓子が用意されていて、そこで勉強しているのは自分たち家族だけ。本を読むのが好きな私にとって、団欒のひと時だった。
記憶だと小学校低学年のような気がするのだが、よくよく考えると5歳で隣の市に引っ越しするまでの出来事なので、3、4歳の頃の話ということになる。
読んでいる本が、「聖書を分かりやすくした絵本」というような漠然とした認識はあったと思う。けれど私にとってはあくまで、「面白い物語の本」であり、エホバの証人だとか、宗教団体だとかは、当たり前だが全く分かっていなかった。
先日見た映画の登場人物が、「聖書がなぜこんなにも読まれているかわかるか?そこに物語があるからだ」的なことを言っていました。物語は、人を惹きつけます。
本棚を探してみたら、使ってない方の一番奥で眠っていた。
確か左2冊が子供用で、右の小さいのが大人用。
母親は西洋文化(特に建築物)に小さなころから憧れがあったようで、日曜日には近くのカトリック教会にも通っていた。が、教会通いの理由は単に「お母さんに相手にしてもらえなくてつまらなかったから」と「建物が好きだから」というもの。
キリスト教に強い興味があったわけでもないのに斉藤さんの誘いをうけたのは、やっぱり彼女の信頼できる人柄によるものだと思う。
10年以上ぶりに中をみたら、アンダーラインとか引いてあり、真面目に勉強していた模様。
終わったページにはシール貼ってもらえたことを思い出した。子供用の本は全てフリガナがふってある。
姉はプロ
想像力が広がるような印象的な絵が多く、文字を読むのが嫌いだったとしても楽しめるのだと思う。といっても、弟と姉は結構上の空だったが(笑)。視界の端でもぞもぞと動く弟や、横にいる気配だけで「集中してないな~」というのがひしひしと伝わってくる姉。姉はプロなので、視線は本に固定。だけど頭の中では全く聖書のことなど考えていない。私には分かる(笑)。
大好きな本を思い出した
ちなみに斉藤さんの家には当時の私がドハマりしていた「こまったさんシリーズ」があった。よく借りていた。なんなら、斉藤さんの家の本棚の前に座り込んで読んだ。「お家に持って帰っていいよ」と言われても、気になって気になって本が閉じられない(笑)。
こまったさんのハンバーグ (おはなしりょうりきょうしつ 3) [ 寺村 輝夫 ]
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このシリーズは、子供向けお料理本、みたいなもの。児童書の中ではかなり有名だと思う。
主人公の「こまった」さんがお料理をするのだけど、毎回予期せぬトラブルが起きて困ったことになる。だけどなんとかお料理は完成する。みたいな話。何度も何度も読んだのにこんなアバウトにしか覚えてなくて申し訳ない(笑)。挿絵もとっても可愛いし、料理がしたくなる。
話を戻すと、あの楽しい時間がまさか今ニュースになっている宗教団体の話だとは思わなかったので、最初は気が付きもしなかったほど。
「あれ、もしかして……?」と自分の記憶が繋がった時には本当に驚いた。当たり前だが、子どもの頃と大人になってからでは物事の見方がこんなにも変わるのか、と。
調べてみた
輸血に関して調べてみたところ、「血に対する敬意を表す」というタイトルで、創世記やレビ記などを引用しながら細かく色々なことがかいてありました。
物凄く短くまとめると、こんな感じ。
・血は魂、すなわち生き物の命であるから、血に敬意を表し、血を避けているべき。
そして明確に、こう書かれていました。
血を避けていなさいという命令には輸血も含まれるのでしょうか。含まれます。
「聖書は実際に何を教えていますか」より引用。
読み物としては興味深く面白いけれど、生きる上での主義・信条とするのはどこか息苦しく、自分と宗教の親和性は低いのだなと改めて思いました。
終わりに
「どう生きるか」は人間に生まれたなら一度は考える、永遠のテーマだと思います。
情報が溢れたこの社会では、無数の選択肢や可能性に振り回され、主体性を保ったままでいるのは難しいけれど、そんな時、大きな一本の柱が自分の中にあれば、たとえ波にさらされたとしても、揺らぐことなく自分の人生を歩んでいけるのかもしれません。
そう考えると宗教は広い意味で、人間の道しるべとなるものなんだろうと思いました。
お読みくださりありがとうございました。